五月の空気って、やっぱり少しずるい。朝外に出た瞬間のあの柔らかい風、強すぎない日差し、どこか軽やかな街の雰囲気。「なんかいけそうな気がする」と思わせてくる力がある。四月の慌ただしさや緊張感が少しほどけて、「ここから整えていこう」と思える絶妙なタイミングだ。実際には生活が劇的に変わるわけでもないのに、不思議と前向きな気持ちになる。五月は、そういう“気分の後押し”がうまい月だ。
そんな五月の象徴といえば、やはり ゴールデンウィーク。連休前は、予定を立てるだけで楽しい。「あそこに行こう」「久しぶりに出かけよう」と期待がふくらむ。普段は忙しくて後回しにしていたことも、この期間ならできる気がする。旅行のパンフレットやSNSを眺めながら、理想の休日を思い描く時間は、それだけでちょっとしたご褒美だ。
ところが、いざ始まってみると様子が変わる。どこへ行っても人が多い。高速道路は渋滞、観光地は長蛇の列、飲食店は待ち時間が当たり前。ようやくたどり着いても、「人の多さで逆に疲れる」という現象が起きる。それでも「せっかく来たんだから」と無理をして動き回り、気づけば予定を詰め込みすぎている。休みなのに忙しい。リフレッシュのはずが、体力勝負になっている。このあたりから、すでに矛盾の気配は漂っている。
そして連休の終盤、あるいは終わった直後に訪れるのが、あの独特の疲労感だ。「ああ、休みが終わる」という気持ちと、「ちょっと休みすぎたかもしれない」という現実が同時にやってくる。結果として、「なんだか疲れた」という感想に落ち着く。休むための期間だったはずなのに、なぜか消耗している。この毎年繰り返される現象こそ、「ゴールデンウィークで疲れるという矛盾」の正体なのかもしれない。
さらに追い打ちをかけるのが、連休明けの現実だ。日常が一気に戻ってくる。仕事、生活リズム、人間関係――それらが急に現実味を帯びてくるタイミングで、気持ちがついていかないこともある。いわゆる「五月病」と呼ばれる状態だ。ただ、これは決して特別なことではない。四月に新しい環境や役割の中で無意識に頑張ってきた分、その反動が出ているだけとも言える。むしろ、それだけちゃんと向き合ってきた証拠だ。
こうして見ると、五月は「頑張りすぎたあとに少し緩む」ための月なのだろう。無理に立て直そうとすると、かえってしんどくなる。だからこそ、この時期は少しだけ視点を変えるのがちょうどいい。たとえば、季節の楽しみを取り入れてみること。スーパーに並び始める 初鰹 や新茶は、その代表だ。旬のものを食べるだけで、「ちゃんと季節の中にいる」という感覚が戻ってくる。大きなことをしなくても、生活に少しリズムが生まれる。
また、外に出るハードルが低いのも五月の良さだ。新緑がきれいで、歩くだけでも気持ちがいい。遠出をしなくても、近所を少し散歩するだけで十分に季節を感じられる。連休のように特別なことをしなくてもいい。「ちょっと外に出てみる」くらいの軽さが、結果的に一番リフレッシュにつながることも多い。
結局のところ、五月は“ちょうどいい加減”を取り戻すための時期なのだと思う。頑張りすぎなくていいし、何もしない必要もない。その中間で、「少しだけ動く」「少しだけ楽しむ」を積み重ねていく。そうすることで、無理なく日常に戻っていける。
ゴールデンウィークで疲れてしまうのは、ある意味で当然のことだ。楽しもうとして動いた結果なのだから、それ自体は悪いことではない。ただ、その後にどう過ごすかで、五月の印象は大きく変わる。
せっかくのこの季節。
無理に立て直そうとするよりも、ほんの少しだけ、自分のペースを取り戻す。
そのくらいの距離感が、五月という月には一番似合っているのかもしれない。




